あなたが親との課題に取り組みはじめると。。。<その弐>

あなたが親との課題に取り組みはじめると。。。<その弐>

親子

父と息子、父と娘、母と息子、母と娘。。。

別に問題ないように生きていても、

案外そこには見えない色んなものが絡んでいます。

クライアントKは、

自分は親に愛されていない

という思いにさいなまれていました。

他の兄弟と扱いが違う。

親の一挙手一投足に注意をむける。

愛されてない自分を確認する作業。

しかし、それはどこかに愛されている自分を
見つけ出したいという願望の現れでもある。

そんなことを本人は知る由もない。

ただただ、自分は愛されていない

と思って生きてきた。

自然と親とはケンカが絶えない。
というか、一方的に怒って感情をぶつける。
それに対して、動じない親に一段と腹が立つ。

なぜなら、反応して欲しいから。

自分の方を向いて欲しいから、怒らせてでも
自分に関わって欲しいから負のエネルギーを
放出している。

その企みがいとも簡単に無視されたように感じて、
怒りが倍増する。
そんな思春期を過ごした。

かつて、私が保護司として担当した保護観察処分を
受けた少年たちも同じようなコミュニケーション
を経ていた。

クライアントKは非行に走った。

もらいたくても、もらえない親からの愛情や関心を
非行グループに求める。

コンビニの前でヤンキー座りして、たむろしていると
安心できた。

バイクでパラパラ言わせながら走ると、ギャラリーの
視線を集められた。

すべて、代用。親から「もらいたもの」の代用。

クライアントKは、たしなめる親や教師に反発
しつつも、どこかでこの道が違うことを知っていた。
自分の進むべき道ではないと。

だから、勉強はちゃんとした。
国立大学に入り、研究課題にも取り組んだ。

でも、心の隙間が埋まったわけではなかった。

自分でもバカだなぁと思うが、親への子供っぽい
反抗は続いていた。

そんな自分をどこかで恥じてもいた。
持て余していた。

初めて、親への自分の態度をセッションで
話し始めた時、

本当にお恥ずかしいんですが、、、、
こんな事話したら、先生にバカだと思われる
んじゃないかと思うんですが、、、、

などと、前置きが長い。

みーんな自分の悩みは取るに足らない、
話すのが恥ずかしいという。たくさんの人の話を
聴いてきたけど、バカじゃないの?と思ったことは
一回もない。大丈夫だから、とっとと吐け~(笑)
と促すと、しぶしぶ語り始める。

しかし、あれだけ躊躇していたにも関わらず、
語りだしたら止まらない。

それだけ「抱えていた」ということではある。

多くのクライアントが同様に、誰にも言えなかった
事を語り始めると止まらなくなる。

怒涛のように吐き出したクライアントK。

そこから、親へのコミュニケーショントレーニングが
始まった。

自分だけが愛されていない

と思っていたことが、そうでもないかもしれない。

そういえば、自分だけ特別に親が時間を作って
くれて、楽しい思い出があったことを思いだした。

すっかり忘れていた自分に驚いた。

人間は自分が出した答えに整合性を求める

だから、現実に在ったことを無かったことにする。
いとも簡単に記憶をねつ造する。
しかも、かなりの天才性を発揮して。

そんな解説をすると、自分がそら恐ろしいと声を
もらしたりする。

いろんな改ざんや思い込みが重なっていたことに
気付いたクライアントK。

頭ではわかった。
実は前から薄々気づいていた気もする。

親は別に差別しているわけではないのだろう
ただ、忙しかったのだろう
そんなつもりは無かったのだろう

 

でも、そうかそうかチャンチャン!とは行かない。

そんなに簡単に片づけられない自分がいた。

少しずつ、少しずつ、本当に少しずつ
親に感謝を言えるようになった。

しかし、それは心の中で。
面と向かってなんて、無理無理。

でも、確実に親に対する思いが変わった。

そうしたら、恋愛が変わった

ダメだと解っている相手を好きになる
未来を創ることはできない相手に魅力を感じてしまう

そんな自分だったはず

が、

安らげる相手に魅力を感じ始めた

こんな恋愛も良いかもしれないと思える自分に
驚いた。
こんなことを確認したくなるほどに。

 

先生、自分が変わると好みの相手も変わったりしますか?

どう思います?

変わるんですねぇーーー

そういうことですね

 

コミュニケーションは一つ開くと連鎖して開く
そんな質がある。

悩んでいることに取り組むことで、
思わぬところに変化が生まれたりもする。

それがコミュニケーションの面白いところでもある。