昨日は終戦記念日でしたね。
毎年やってくる記念日ですが、なんか年によって特別感を感じることってないですか?
今年の夏はわたくしにとって、どうやら特別な夏だったようです。
珍しく、広島の原爆投下時間に黙祷を捧げるタイミングが訪れました。
中学の時には8月6日は登校日になっているほど平和教育を受けていたので、10代の頃は自然と黙祷していたものでした。
ただ、人間は忘れる生き物なので、「ああ、広島の日だなぁー、長崎の日だなー、終戦の日だなぁー」くらいになって久しい日々を過ごしていたのですが、なぜか今年は平和記念式典を初めから終わりまでしっかり観ました。
しかも、戦争をよりリアルに感じながら。
ウクライナとロシア、中国や北朝鮮の不穏な動き。
そんな不穏なエネルギーを感じつつの夏だったからでしょうね。
そして、この中で浮かんできた言葉が、今日のタイトル【全てを陽には出来ない】
この世の中には色んな考えの人がいて、それぞれが自分の中の正義に基づいて意見を持ち行動をしている。
例えば、私はコロナワクチンは打たない派です。
幼児の時の注射の副作用に苦しめられている現在があるから、どんな反応がいつ出るか分からないものを身体には入れない方が良いという意見です。
この考えとは真逆の人たちもいる。
また、ウクライナとロシアの間にも、全く別の見方があってそれがぶつかってしまったから戦争に発展している。
香港や台湾と中国も然り。
この地球上には色んな正義や意見がある。
どちらも自分の位置から観たら、自分が正義で相手が間違っていると見えてしまう。
でも、結局のところこの世の中は陰と陽で出来ている訳で、どちらかに塗り固めてしまうことなど無理。
それは宇宙の真理に反することだから、無理なんですよね。
どこまで行っても、陰には陽が必要なわけで、もちろん陽にも陰が必要。
互いが存在して初めてそれぞれが存在できるわけだから。
私たちは、今こそ本当の賢さ・叡智を発揮して【互いが存在して初めて存在できる】に基づいた考え意見から行動すること、そんな方向転換を求められているのかなぁーとぼんやり考えていたのでした。
と、こんな事を書いていますが、ものすごくはっきり明確にこうしよう!がまだあるわけではないのだけれど、【互いの存在を良しと出来る】分別の観点を使っていくことが、この世を良くしていく一つの方法だとは思うわけです。
ですから、まずは自分の中の陰と陽を認めて行くことかなぁーーーーと思うのです。
ピンとくる方は、ぜひご一緒に自分の中の陰と陽を見つめてみましょ!
☆とほかみえみため◆◇あることがたし☆