自分が客観的に物事を観れているかという視点は、ものすごく必要だと思っていますが、改めて自分を振り返らねば!と思う出来事がありました。
ある方をご紹介頂き、お話をさせて頂いたところ
「その話はこういうことでしょう」
「どうせ、こういう結末でしょう」
「これ以外に正解はない」
この調子で終始会話をなさる。
ちょっと、面倒くさくないですか?これ(笑)
【やり取りにならない】
何を言っても全て、ご自身の主張や主観からの言葉で、その先に発展していかないんですよね。
「この人、他人と話をして楽しいんだろうか?」と遠い目になりました(笑)
だって、触発が起きないですもんねー、この調子なら。
誰の話を聞いても、全部自分の中で知っている話、解っている話ですもん。
ひっさびさに、超押し付けがましい人にお目にかかりました(笑)
クライアントでもないし、セッションも頼まれてないので「これは周りの人、大変やろなぁー」と思っただけでなにもいう事はないなぁと、静かに失礼しましたが。
しかし、この方、相当なポジションの方。
政府に関わるお仕事をなさっているようですが、このクラスの人たちがみんなこんなコミュニケーション状態なら、まぁまぁの殺伐とした雰囲気で日本の未来について話されていることでしょうが、それもどうなん?!という思いが湧きます。
いくら偏差値が高くても、コミュニケーション能力がこの状態だと生きづらいと思うんですけどね。
なんせ、初対面の私はものの5分で「あかんなー、話にならへんなぁー」となりましたから。
しかし、この方も若い頃からこうだった訳ではないはず。
その傾向はあったにせよ、ここまでではなかっただろう思う訳で。
やはり、誰にも何も言われない・言わせないポジションに長く居ると
【観えなくなる】
【裸の王様】
状態になるんですよね。人間って。
【客観的視点が動いているか?】
これを常にチェックするためにも、メンター的な存在はいつも必要だなぁと強く思う次第。
☆とほかみえみため◆◇あることがたし☆