何?!この態度?!
無責任にも程がある!!
こういう人がいるから、世のなか変になる!!
こんな風に憤りを感じたこともあると思います。
もちろん、私にもこんな体験はゴマンとあるわけですが、ふと違った風景が見える事がコミトレを学んでから増えた様に思います。
一見、無責任な態度の裏に存在するものが観えた瞬間、はぁーーーー!そうかーーーー!となって感情的になっていた自分が中和・分解されるんです。
先日ネットニュースにこんなものがありました。
極寒の中、校則違反だとジャンパーを脱がされた中学生が発熱し学校を休むことになった。
回復して登校した際、校則の改正を求める手紙を教師と学校に渡したところ、教師からの「教師の立場としてはノーコメント」という返事に『諦め』を覚えたというものがあり、「おー、これはなんじゃいぃーーー」と怒りの感情を持って、活字眠り病ながら長文の記事を読み進めていたワケです。
この地域では、中学校が荒れた時期がありその時に決められた校則が今なお使われている為に起きた不具合らしい。
教職員の中には、『今に則していない校則』との認識を持っている人も多いと言うが、なぜに「教師の立場としてはノーコメント」という言葉が出てきたのか?に大きな疑問と違和感が残りました。
そこで探究していたら、ふとこんな思いが湧いたのでした。
先生たちは、
【自分たちで校則を変えなきゃいけない】
に陥ったのでは?
現在、教師の仕事は多岐に渡り、多忙を極めています。
長年、教育委員会から依頼を頂いているので、その状況はよく分かります。
そして、教職員の皆さんが決して無責任でないことも。
校則を改正するには、きっと時間もパワーも使うはず。
変えた方が良いと思っていても、「時間とパワー」の事を考えると取り組むのが億劫になる。
こんなことは、私たちの生活の中にも多く在ることですから、感覚を同じにすることはできるはず。
教職員の方々は、無責任から「教師の立場としてはノーコメント」と言ったのではなく、
【責任を背負いすぎて】
いたからこそ、この様な対応になったのかもなぁーと思ったわけです。
でも、みんなこの事に気づかないのです。
【責任を背負いすぎて】いることに気づかない。
だから、表面上のことで怒って物凄い勢いで叩く。誹謗中傷が吹き荒れる。
誹謗中傷にされされる本人も、【責任を背負いすぎて】いることに気づいていないので自分を責める。
その結果、心を病む。
そうして、教職員の休職者が増え、成り手も減る。
きっと、こう言う構図がずっと繰り広げられていて、教員不足になって来ているのだろうと思うのです。
【責任を背負いすぎている】
と社会が気づけば、もう少し状況は変わってくるはず。
同じ地域で、校則の改正が生徒を主体に行なわれた学校があると記事にはありました。
生徒たちで考えた校則を学校が改めて精査して、生徒たちによる投票で決定するといったもの。
これだと、教職員の負担は軽減された上に、生徒たちは【自分たちの声が変化を生み出す体験】をすることになる。
社会に出た時に、この経験をしているか、諦めた経験の積み重ねかでは大きな違いが生まれるはず。
この違いは、
【表面ではなくその裏に在るものを観る力】
によると思うわけです。
私は間違いなく、この力をコミュニケーショントレーニングで強化したと思います。
コミトレを体験した皆さんにもこの感覚は在るはず。
是非とも伸ばした能力を最大限に活かして、軽やかに清々しく生きて行きましょうねー。
☆とほかみえみため◆◇あることがたし☆