ワタクシの毎朝のルーティーンの中に
「アメノミナカヌシさま、神様、宇宙、高次元の皆様からのメッセージを一人でも多くの人に伝え、愛と勇気と元気と希望の光をお届けします」
と、神棚に手を合わせてコミットするというのがあります。
今日のタイトルの【『体験しない』という体験もある】も、出掛けようと身支度をしている時にふと降りてきた言葉。
「ん?どういう事?」と思いながら、アイラインを引いていたのでした(笑)
【人間は経験と感動をするために生まれてくる】
かれこれ20年?くらい前にこの言葉を聴いて深ーーーく頷いてから、人間は経験体験を重ねて成長をしていくのだとの学びを人生を通して深めてきたわけです。
ですから、このメルマガでも「体験すること」をお勧めするような事をたくさん書いてきています。
が、これはちょっと誤解を生む表現の仕方だったのか?という思いが【『体験しない』という体験もある】いうメッセージを受けた時に湧いたのでした。
もちろん『体験すること』は成長に欠かせない。
体験する前と後では、物事の観え方や感覚が及ぶ部分、扱える領域が大きく広がると思うから。
ただ、体験する事で学ぶ事柄は人それぞれ。
全員が同じ事柄を体験しないといけないわけではない。
【その人の人生に必要な体験が在る】
例えば、ワタクシ。
5歳の頃から「結婚しない」と言い続け、その通りに人生を歩み『自分の時間』を最大限に自分が体験したいことに使っていたわけです。
それが55歳で突然結婚という体験に踏み切るわけです。
そりゃー色んな変化が起きるわけです。
「観たくなかった」と思う自分など、色んな自分を発見し学びを体験しています。
「私の人生に結婚はいらない」と思っていたけれど、「やっぱり私は体験しないといけなかったから、結婚したんだなぁー、しかも50年の時を経てという強烈なスパイスを添えて(笑)」と思ったりする今日この頃。
ここで間違って伝わってしまってないか?と思うのは、【結婚という体験をしなくてはいけない】と感覚。
私には『結婚の体験』は必要だったと思うけれど、全ての人に必要だとは思わない。
【結婚をしない事で体験する色々が必要な人生もある】
これ、本当に思いますが、結婚してからというもの結婚にまつわる事柄をセッションで扱う時に、確かに体験からくる気づきなどで扱える領域は増えた。
けれどもや!!感情移入しすぎてしまう!という事になっている(爆)
冷静に聴こうと思うけれど、ちょいちょい冷静さに欠ける状況になる(笑)
いかんなぁーーと思いますが、この「いかんなー」な体験も私には必要なのだと思うわけです。
今もし私が結婚をしてなくて、冷静にクライアントの結婚にまつわる事柄を聴いてセッションしていたならば、それが【その私には必要な体験】という事です。
ですから
【体験する事で学ぶ事柄は人それぞれ。全員が同じ事柄を体験しないといけないわけではない】
なのです。
これで伝わっただろうか。
活字にすると回りくどい表現になってしまって大変恐縮ですが、伝わってくれーーー!と切に願う。
まぁ、このもどかしさもワタクシが体験する必要があるという事なのですよ。
このもどかしさをナンとかしようとして表現力を高め、一人でも多くの人に愛と勇気と元気と希望の光を届けるという人生を歩みたいから☆
☆とほかみえみため◆◇あることがたし☆