いかに自由に生きていくか?
コミトレを学んでから、「いかに自由に生きていくか?」が人生のテーマの一つになったのでした。
それは「いかに日々、不自由に生きているか」に気がついてしまったから。
だからと言って別に「めちゃくちゃ不自由だぁー!」と思ってるわけではないのだけれど。
「これってひょっとして囚われていたってこと?」というレベルの【心の束縛】が存在することに、気づく様になったんですよね。
【心の束縛】をコミトレ的に表現すると【パラダイム】とも言える。
知らぬ間にパコっとハマってしまっている、透明な価値観の枠組み。
コミトレを学ぶと、ちょいちょいこの透明で気付きにくい枠組みに気づく様になるのですよ。
例えば、ある人の行動を見て度肝を抜かれた!なんて事があります。
そんな時は、自分にハマっている透明の枠組みが見えやすい時。
Aさんは不思議な魅力の持ち主で、Aさんの話を聴きたい!お近づきになりたい!と全国から多くの人が集まってくる。
そんな時、Aさんの行動に度肝を抜かれたのでした。
わざわざ遠くから集まってきている人たちをそのままに、席を立ってスゥーーーーーーとどこかへ。
しばらくしても戻って来ず、どこに行った?とその場が騒然とし始めました。
そこで誰かが、「帰ったらしい….」「え?!えーーーーーーーー!!!!」
という場に居合わせました。
その時の私の反応は「いやいや、それどうよ。あんまりやん。みんな遠くから来てくれてはるのにぃーーー」と、Aさんに軽い怒りを覚えたのでした。
そんな時、その場にいた人の中から「うわぁーーー自由だなぁーーー、ハハハ」という声が。
そうして、その場に取り残された人たちが「本当ーーーー」と笑い出したのでした。
Aさんの行動も衝撃的でしたが、その場に取り残された人たちの反応も衝撃的。
その時に気づいたのは
私はものすごく囚われているんだなぁーということ。
◯◯してはいけない
常識外れだ!
変に思われたらどうしよう
◯◯はこういうもの
これが普通
と、自分でも知らぬ間に、色んな事にガンジガラメになっているんだと。
この衝撃の体験以降、「いかに日々、不自由に生きているか」に目を向ける様になったのです。
そんな事を続けていると、「自由に生きている」「何不自由なさそう」と言われる様になり、自分でもそこそこだなーと思っていたのですが、また気づかされる体験がやってきました(笑)
それは夫とその友人たち。
夫は中国医学を学び、その知識と体験を使って仕事をしているので、同じような経歴の友人が多い。
が、聞いてみるその友人たちの多くが、観光案内の仕事など全く違う仕事をしていると。
一生懸命学んだんだから、それを生かして仕事をしなくては!
とか
これが自分の仕事なのだ!
など、自分を縛るものが、1mmも存在しない模様。
サクっと全然関係ない仕事をする。
そしてそれを楽しんでいる。
自分とのあまりの違いに「もぉーーーなんだかなぁーーーーーー」と遠い目になってしまうことがしばしば(笑)
友人たちに負けず劣らず縛られない夫はと言うと中華料理店を作っている……あんたはどこに行くんやぁ………ホンマ自由だなぁ………
全く未知の分野に参入なので、日々「大変!」と言いつつもなんだか楽しそう。
なぜなら、自分の希望を全て盛り込んだ店作りをしているから。
みんなとワイワイしながらカラオケまでできるようにするらしい(笑)
そんな自由人を横目で観ながら、「囚われているよねー、私」と思うせと千佳でございます。
夫よ!気づきをありがとうーーー(爆)
☆とほかみえみため◆◇あることがたし☆