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甘えることは弱さではないについて

取り組む
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私たちは大きくなるにつれ、「自分で出来ることは自分でする」ように教育されるので、いわゆる「甘える事」のハードルが上がる。
 
研修やセミナーなどで、「甘えるのが苦手な人」に挙手を依頼するとまぁまぁの数の手が挙がる。
手を挙げてなくても、苦笑いをしている人も多い。
 
これは教育の賜物でもあるけれど、言葉の取り違えというか意味の取り違えもあるのだと思う。
 
[甘える] にはネガティヴな意味合いを強く持つ事が多いのではないかと思う。
 
甘える=半人前、能力がない、仕事ができない、ダメな人間
 
といった具合なネガティヴな意味合い(パラダイム)を持っていると、甘えてはいけない!と思うようになる。
 
また、[他人を頼る] にも同じようなネガティヴな意味合いが付きまとう。
だから私たちは、【他人に頼ってはいけない、甘えてはいけない】という強烈な価値観の枠組み(パラダイム)が、知らず知らずのうちに出来上がっているのだと思う。
 
しかしよくよく考えてみると、甘えるにしても他人を頼るにしても、ネガティヴな意味合いばかりではないわけで。
でも、引っ張られてしまうんですよねネガティヴに。
だからいつも言っている様に、反対側を観るクセをつける必要があるわけです。
ネガティヴを観ているなら、ポジティヴはどうなんだ?という観点。
 
先日、SNSに【甘えたり、助けを求めることは弱さではなく才覚なのだと思った】という言葉を発信したのですが、これはある人の在り方からの触発で出てきた言葉でした。
 
その人は、「助けて欲しい」「慰めて欲しい」「甘やかして欲しい」と自分の「今」の心情を素直に言葉にして発していました。
そして多くの助けや慰めの言葉をもらって、元気をもらっていた。
 
その在り方が、素晴らしくクリア!
まったく引っかかってない。
微塵も「甘えてはいけない!」とかがない😆
 
なるほどなぁ〜と思った。
助ける側の人たちが、喜んで力を貸しているのを観て「なるほどなぁ〜」と思った。
そこで「こりゃもう才覚だな」と思ったわけです。
 
コレ私たちの誰にも備わっているものですよ。
毎度言いますが、私たちも子どもだったわけで、赤ちゃんだったわけですよ。
「甘え」たり「頼る」事に引っかかることなんて微塵もない時があったわけです。
周りの人たちは、笑顔で助けてくれた頃が確実に在ったんです。
 
いつもいつも甘えなさい、頼りなさいと言ってるわけではない。
コレはピンチ!!って時には良いんじゃない?っていう緩さを自分に許してあげて欲しいという事。
 
【甘えたり、助けを求めることは弱さではなく才覚なのだ】と自分に言い聞かせて。
はい、私もね!😆
 
 
 
☆とほかみえみため◆◇あることがたし☆

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