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自分に恥ずかしくない行動を積み重ねていれば自己肯定感は自ずと上がる

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小さい頃、すごく不思議だった事は、
 
<なぜか母には色んな事がバレている>
 
という事。
 
学校で友達と喧嘩した事や、先生に叱られた事、本読みが上手くできなくて恥ずかしかった事などなど。
 
何も言ってないのに、なぜか母には筒抜けだった。
 
なんで?という顔をしていたのだろうが、その時に母が言ったのは
 
「お母さん神様と友達だから、全部分かるんやよ」
 
最初は心の中で「えー?!ホンマ?!うそやーーー!」と疑っていたのだけれど、事あるごとに母から鋭い指摘があり、信じざるを得なくなっていった。
まぁ後から聴いた話では、様子がおかしいから何かあったやろ?と声をかけると図星の顔していたらしい😆
そこで「神様とお友達」と言われたら、貝が口を開くようにあたしゃ全て話してしまうということになっていたらしい(素直〜✨)
なかなかやりよります、うちの母👍
 
そういう事があって【誰も見てなくても、神さま(お天道様)が見てる】という感覚が植え付けられ、誰も見てなくても悪いことはもちろん良い加減な事ができないというトレーニングになっていた。
これは孫に対してもめちゃくちゃ活用していて、3歳くらいから「神様が見てるよ!バチ当たるよ」と叱ると神棚を見上げるようになった😆
だんだん知恵がついてきて、「神様どこにいるん?!どこにもいないし〜〜」とか言い返すようになってきたけれど、やっぱり神棚を伺うように見るのでシメシメとほくそ笑んでいる👍
 
私は性善説を採用派ですが、それでも教育は絶対に必要だなぁ〜と思う。
教育がなければ、「誰も見てないからいいや」という幼稚な考えで行動してしまう。
これってホント良くない。
【自分の誇りを傷つける行動】だから。
 
【誰も見てなくても自分が観てる】
 
コミトレの中では【自分の誠実性に照らし合わせて自分に恥ずかしくない行動かどうかを観てみること】と伝える。
子どもの頃は、「自分の胸に手を当ててよく考えてみない。本当にそれで良いのか?」と質問されたのは、この誠実性に照らし合わせなさいという意味だったんだなぁと思う。
 
自分に恥ずかしくない行動を積み重ねていれば、自己肯定感は自ずと上がるからこれはとても重要な学び。
 
 
外国人の従業員を抱える身としては、教育するためには相手をしっかり観察する事が本当に必要だなぁ〜と切実に思う。
 
どのような言葉、話の組み立てでいくか?
タイミングは?
話をする人は誰(夫か私か?)が適任か?
 
観察しないことには「最適解」が見出せない。
観察が甘いと反発を喰らうだけだったり、全く心に響かなかったりという結果に終わるしね。
 
どうせ相手にとって嫌なことを言うわけだから、なんとか響いて欲しい。
 
「私、神様と友達だから色々分かるのよ」と従業員に言ったらどんな顔をするのかな?😆
日々、探究は続くのであります。
 
 
☆とほかみえみため◆◇あることがたし☆

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