『自分の何が目の前の現実を引き起こしたのだろう』
私のコミトレのセッションやセミナーで、このフレーズを耳にした人は多いと思います。
この問いは何の為に行うのか?をちゃんと掴んでいるのといないのとでは、人生が格段に違ってくるのだけれど、あなたは掴んでる?
【人は他人はよぉーーーく観察するが、自分への観察はスッパリ抜けている】
私たちは、他人のことは良く観てますよねー。
「あの人のここをもうちょっとこうすれば……」とか「あんな言い方するから反発されるんだよ」などなど。
しかーし、自分の事となると、【知っている】という前提(パラダイム)があるので、観ようとも思わないんですよ。全然気づいてないけれどぉーーー
だから
『自分の何が目の前のこの現実を引き起こしたのだろう』という観点を、意図的に持ち込むトレーニングが必要というわけ。
どうですか?ここ掴んでました?
掴んでなかったーーーー!という人は、改めて掴み直しておいてくださいね。
さて、この自分を顧みるという観点は、上記の理由でとても重要です。
が、コミトレを学んだ人の中で、この観点ばかりを使ってしまっていることがあります。
これ、バランスを欠くので要注意ですよー!
コミトレ学んだ事で生きにくくなっている人いますよぉーーーー!
『自分の何が?』をニュートラルに観れていたら良いのだけれど、ややもすれば【自責】に走ってしまうという落とし穴がある。
要するに『自分のイケナイところ探し』ばっかりしてしまうというもの。
これ、あかんでしょ。めちゃくちゃバランス悪い。
これだと、コミトレセンスが仇になるヤツです。
じゃ、どうすれば良いのか?
自分を観たら、【相手や周りにも目を向ける】
これですよぉー、これ。
『自分の何が目の前の現実を引き起こしたのだろう』
と
『この人がこのような言い方や態度をする理由(背景)は何なのだろうか』
これ、セットで観察するようにしましょう。
自分を観たらちゃんと外側にも目を向けて、情報の偏りを無くすことが大事。
先日、あるクライアントが「悲しかったんですよねー」とつぶやいたのでした。
それは、友人から仕事を休む事に対して「また仕事休むの?!」と語気強く言われたらしい。
このクライアントは、介護が必要な家族の事で遠く離れた実家に行って、手続きなど色々しなければならない状況の人。
友人はそれも知っているはずなのに……
で、まずは『自分の何が目の前の現実を引き起こしたのだろう』の観点を開いて探究してみた。
イマイチしっくりくる答えが浮かばず。
では、『この人がこのような言い方や態度をする理由(背景)は何なのだろうか』の観点を開いて探究してみた。
出てきた答えは、「もしかしたら、私と遊ぼうと思っていたのに遊べないとわかって寂しかったのかも?!」
この答えが湧いてきた時のクライアントは、ものすごく思い当たることがあったらしく「ああ、そうだ!これこれ!これだと思います。あーーー、スッキリした!!」と清々しい顔になっていました。
自分に色んな事情があるように、相手も色んな事情を抱えているんですよ。
だから、ちゃんとバランス良く観察する必要があるというわけです。
「そういえば、『自分のイケナイところ探し』症候群に陥っていたなぁーーーーー」と心当たりがある方は、今日の内容をしっかり自分に落とし込むように!(笑)
☆とほかみえみため◆◇あることがたし☆