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「執着を手放す」に関して、かなりの手練れかもよ

気付き
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執着って、ホントどうしようもないなぁ〜と思うわけですよ。
生きている以上、ついて回るものだなと。
きっとどんなに修行を積んだ人だとて、これは一緒。
マザーテレサもダライラマもみんな一緒。(このお二方、よく登場して頂きますが笑)

なぜにゆえに執着の話をしているかというと、私が運営しているコミトレメンバーが集まってるFacebookグループがあって、そのメンバーのシェアが「執着」についてで、それに触発を受けたのでした。

長くこの仕事をしてきて一つ言える事は、【「執着を手放す」難しさ】を知っているって事は、かなりの手練れだという事。
自分と向き合う事に真摯に向き合っているからこそ分かる事だから。

ちょっと思い出して欲しい。
自分とこんなに向き合う前の自分を。
執着を手放そうとか、執着ってホント難しいとか思ってなかったはず。
なんだか分からないまま怒っていたし、悲しんでいたし、苦しんでいたはず。
「なんだか分からない状態」から「分かっている状態」に変化しているんですよ。
だけれども、完璧に扱えないだけ。
だたそれだけ。
そして、なんだか分からないままの時と違って、自分や周りの人の状況がちゃんと観えているはず。完璧には扱えてないけどさ。
これはデカいと思うんですよね。

状況が分かっているけれどうまく扱えないって時もストレスは感じる。
けれど、【なんだか分からない】ってもっとストレスを感じる。

原因不明の激痛とかって、本当に蝕むんですよ。心が削られる。
これは私の腰痛体験。
どうにかしたいのに、どうなってるのか分からないって本当に絶望しかなくて。
痛みで泣いたの初めてだったけど、痛みよりもどうしたら良いのか分からないという絶望感で泣いていたなぁ〜と。
色んなところで診てもらって、「これが原因」って断定された時を思い出すと、痛みは変わらないけれど心は軽くなったんですよね〜
痛くて辛いのは辛いけれど、【自分の状況が分かる(掴める)】だけでも大きく変化する生き物なんですよ、人間て。
私が心理カウンセリングやコーチンを学んだ時も同じ。
ああ、そうか!もしかしたら、あれが原因だったか?って心当たりがつく感じ。
だからと言ってすぐに状況や自分が変わったわけでもない。
けれど、明らかに心が軽やかになった。

そこから勇気や元気が湧いて来て、じゃこうしてみよう、もう少しこうしたらどうかな?と変化への歩みを進めることになる。
これを繰り返して、【その時】にちょうど良い塩梅のところを探して(探究)いるんだなと思う。

執着を手放し切ることは難しいけれど、一瞬でもフッと軽やかになれる時を創れるってだけでも素晴らしい事だよな〜と思うんですよ。
そんな瞬間を増やせたら、「手放せてる」と思えたりする。
それは一瞬の連続が創った感覚なので、また途切れたりするのだけれどぉ。

まぁ、そういう事も知っていれば、構えられるよね。来るでまた来る!ってね。

そうやって、執着やらなんやらかんやら私たちを苛む感情を処理し続けていくんですよ、人間って生き物は。

これを一生かけてやりにこの世に生まれてきたと思えば、ちょっと腹も座るってもんじゃない(笑)

☆とほかみえみため◆◇あることがたし☆

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